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所長のひとりごと。バックナンバー

第19回 鎮守府胆沢城とエミシの豪族

2021-12-16
 今回のテーマは「鎮守府胆沢城とエミシの豪族」です。古代の日本において、地域社会を安定的に治めるためには、在地有力者との関係が極めて重要となります。胆沢城周辺のエミシ社会にはどのような豪族が活躍していたのでしょうか?
●胆沢城跡厨井戸出土木簡(部分)
●和賀地方のエミシが胆沢城に送った白米の荷札
 今回のブログでは、出土文字資料や歴史書にみえる「和我連(わがのむらじ)」氏と「物部斯波連(もののべのしわのむらじ)」氏を紹介します。まず、和我連氏ですが、この豪族は歴史書にはみえず、胆沢城跡から出土した9世紀末~10世紀前半頃の木簡から、その存在が確認されました。ただし、名前の部分は文字の残り具合が悪く、判読できていません。
 和我連という姓から、和賀地域で勢力を保った豪族であろうと考えられます。また、彼らの姓でもう1つ特徴的なのは、「連」というカバネ(ウジに付けた称号)を持っていることです。元々、エミシの豪族には、地名+「公」という姓が与えられていました。それらは「夷姓」と呼ばれ、エミシ特有の姓であると認識されていたようです。しかし、平安時代に入ると、エミシの豪族であっても、「○○臣」や「○○連」などの姓が与えられるようになります。和我連氏も、平安時代初期のどこかのタイミングで、その姓を獲得したのでしょう。
 さて、木簡の内容ですが、「和我連某が、白米5斗を進上する」ということが記されています。木簡の形は串状で、荷札として俵に付けられたものと考えられます。このことから、彼らは鎮守府胆沢城に対して、何らかの貢納を負っていたことがうかがえます。
 元々、和我(和賀)・薭縫(稗貫)・斯波(志波)の地域は、陸奥国最北の城柵である志波城、およびその後継である徳丹城との関係が強かったと考えられていますが、9世紀中頃の徳丹城の廃絶以降、それらの地域は胆沢城との結び付きを強めていったことが、この木簡からおぼろげながらみえてきます。
●「斯波」(と読む)と書かれた須恵器
 次に、物部斯波連氏を紹介します。この豪族は歴史書に活躍が記録されており、その姓から斯波地域の豪族と考えられます。和我連氏と同様、「連」姓であるのも特徴です。胆沢城跡出土資料には、彼らと直接関係するものはありませんが、「斯波」と記された9世紀末~10世紀前半頃の土器が見つかっています。
 物部斯波連氏が初めて歴史書に登場するのは、承和2年(835)のことです。彼らは元々、「吉弥侯(きみこ)」という姓を持っていましたが、この時に、物部斯波連の姓が与えられました。その後、同7年(840)には、物部斯波連宇賀奴(うかぬ)という人に、「逆類に従わず、久しく勲功があった」という理由で位階が授与されます。
 彼らが次に歴史書に登場するのは、元慶5年(881)のことで、その時は「陸奥蝦夷訳語(むつえみしおさ)」の物部斯波連永野(ながの)という人に位階が与えられました。この出来事で重要なのが、陸奥蝦夷訳語という彼の肩書と元慶5年というタイミングです。
 訳語というのは、現在でいえば通訳のことです。当時、エミシたちは倭人と違う言葉(「夷語」)を話すと認識されていました。そのため、エミシとの意思疎通のためには、こうした役割の人が必要だったようです。ちなみに、鎮守府胆沢城と対になる出羽側のエミシ支配の要、秋田城跡では「訳」の旧字である「譯」と書かれた土器が複数見つかっています。訳語が城柵で常時勤務していた可能性を考えることができそうです。
 そして、元慶5年というのは、同2年に勃発した〝元慶の乱〟が収まり、その戦後処理がなされていた時期です。永野への位階授与の理由として、元慶の乱での協力が想定できます。秋田城とその周辺が陥落した元慶の乱では、陸奥国からも援軍が派遣されています。
 その際、鎮守府の将軍、小野春風(おののはるかぜ)は、北上川沿いから上津野(鹿角)地方を通り、秋田城へ向かうルートで進軍しました。そして、自身が「夷語」に通じていたこともあり、敵対するエミシの勢力の説得を図ります。永野への叙位と、こうした春風の行動を関係づけるならば、永野は進軍ルート上に本拠地が位置していることと、訳語としての能力に長けていることを活かし、説得作戦に協力したのではないでしょうか。推測を重ねるようですが、その場合、物部斯波連氏は鎮守府の指揮下にあったことになります。
 冒頭で述べたとおり、鎮守府が周辺地域を治めるためには、現地のエミシ豪族に頼る必要がありました。ただし、エミシの豪族側からみれば、鎮守府と良好な関係を築き、その権威を活用することで、在地での地位を保つことができるという利点もありました。アテルイ亡き陸奥北部の社会では、こうした鎮守府とエミシの豪族の相互関係の中で、新たな時代を担う勢力が台頭してくるのです。
(今回の文章は、学芸員の大堀が担当しました)
 
<参考>
鐘江宏之「蝦夷社会と交流」『東北の古代史4 三十八年戦争とエミシ政策の転換』吉川弘文館、2016年
熊谷公男「平安初期における征夷の終焉と蝦夷支配の変質」
『展望日本歴史6 律令国家』東京堂出版、2002年、初出1992年

※禁無断転載
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