胆沢のエミシと狩猟文化
2025-12-15

【図版1】胆沢城跡出土イノシシ頭骨
古代の列島東北部に住んでいた人々は、エミシ(蝦夷)と呼ばれました。エミシの実態をめぐっては、政治的につくられた側面に注目する見解が主流ですが、一方で、そうした理解と共存しながら、エミシ社会の文化的独自性を積極的に評価しようという見方もまた根強く存在します。今回は胆沢地域(現在の岩手県奥州市・金ケ崎町周辺)の事例に即して、エミシ社会における狩猟文化について考えてみたいと思います。
胆沢地域は古代東北における代表的な農耕地帯として知られています。奈良時代の歴史書である『続日本紀』には、その土地柄を「水陸万頃」(「水田と陸田が広大である」の意)と表現した箇所があります。このように農耕が盛んであった胆沢地域でも、狩猟文化の伝統をうかがわせるいくつかの要素があります。
胆沢のエミシといえば、なんといってもアテルイですが、彼が率いるエミシ軍が朝廷軍に大勝した789年の”巣伏の戦い”において、エミシたちは弓矢を使用しました。朝廷側の記録には矢に当たった兵士が245人いたと記されています。これは武器としての使用例ですが、朝廷軍に少なくない被害を与えており、胆沢のエミシが弓矢の扱いに長けていたことを示唆しています。
また、胆沢地域には802年に朝廷側の拠点として胆沢城がつくられ、後に軍政をつかさどる鎮守府も置かれることになりますが、その鎮守府胆沢城においてエミシをもてなす饗宴(「俘饗」)が開かれていたことが文献史料に記されています。俘饗のため鎮守府は「狩漁」を行っており、その殺生の罪に悩んでいたようですが、このことからエミシには肉や魚がふるまわれたことが分かります。実際、胆沢城の台所にあたる厨地区の発掘調査では、シカやイノシシの骨が出土しており、文献史料の記述と合致するような発見として注目を集めています。鎮守府での俘饗は、周辺のエミシの間に肉食の文化があったことを物語ります。
さらに、私が個人的に注目しているのが、胆沢地域の発掘調査で古代のものと考えられる陥し穴状遺構が確認されていることです。普通、遺跡で見つかる陥し穴状遺構といえば縄文時代をイメージします。ですが、中には炭化物の年代測定や10世紀初頭に降下したとされる十和田a火山灰の堆積状況からみて、縄文時代ではなく古代に使われたとみたほうがよいものがあるようです。
奥州市胆沢の宮沢原下遺跡は平成17年(2005)と翌18年(2006)の2度にわたり調査が行われ、計265基もの陥し穴状遺構が確認されました。大半は縄文時代に属するものですが、一方で、その内の60基以上から十和田a火山灰の堆積が認められました。中には平安期と思われる鉄製紡錘車が出土したものもあります。
また、同じく奥州市胆沢の明神下遺跡からは33基の陥し穴状遺構が発見されました。十和田a火山灰を含むものはありませんでしたが、炭化物の年代測定を行ったところ、7~8世紀代の数値を示すものと縄文晩期にあたる年代を示すものがありました。報告書では、調査で縄文晩期の土器が出土していないこと、穴の平面形が縄文のものとは異なることなどから、明神下遺跡の陥し穴状遺構は7~8世紀代のものではないかと推測しています。
その他、縄文時代の環状集落として知られる大清水上遺跡の陥し穴状遺構にも、十和田a火山灰を含むものがあると報告されています。宮沢原下遺跡・明神下遺跡・大清水上遺跡はいずれも胆沢川をさかのぼった中流部~上流部にかけて所在しており、そうした点でも興味を引かれます。
もっとも、各報告書では、古代の陥し穴状遺構の存在をエミシの生業と結び付けてはおらず、古代社会全般における狩猟文化の中で慎重に位置付けようとしています。全国的にみても、縄文時代以外の陥し穴がないわけではないようです。色々と課題はありそうですが、いずれにせよ、エミシの狩猟文化という観点からみて、古代の陥し穴状遺構にどのような位置付けを与えることができるのか、とても気になるところです。
古代の歴史書において、エミシは農耕を知らない狩猟民として描かれるのが典型です。しかし、エミシ社会における農耕文化の存在が考古学的に明らかにされたことで、歴史書が語る狩猟民としてのエミシのイメージには、強い疑いの目が向けられるようになりました。
歴史書の記述を批判的に読み解くことは、研究者にとって当然かつ必須のことです。ですが、そのために、エミシ社会における狩猟文化というテーマは敬遠されがちなところがあり、「蝦夷と狩猟の関わりは、現在の蝦夷研究でもっとも立ち遅れている問題」(熊谷・2004)だといわれています。今回のブログでは、先行研究や発掘調査の成果にも学びながら、この問題について自分なりに考えてみました。
(文:専門学芸員 大堀秀人)
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【図版2】宮沢原下遺跡・明神下遺跡・大清水上遺跡位置図
参考文献・報告書
・熊谷公男『日本史リブレット11 蝦夷の地と古代国家』(山川出版社、2004年)
・濱田宏「古代に属する陥し穴について―奥州市胆沢区宮沢原下遺跡での検討―」
(『紀要X X IX』(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター、2010年)
・『岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書475 大清水上遺跡発掘調査報告書』
(財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター、2006年)
・『岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書495 宮沢原下遺跡発掘調査報告書』
(財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター、2007年)
・『岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書512 山の神遺跡・宮沢原下遺跡第2次発掘調査報告書』
(財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター、2008年)
・『岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書738 明神下遺跡発掘調査報告書』
(公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター、2023年)




